2学期終業式を行いました。
校長式辞に続き、生徒課より冬休みを迎えるにあたっての講話がありました。
生徒課長のお話にもありましたが、今一度、高校生という自覚を持っての行動を心がけましょう。


校長からの式辞を紹介します。
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令和4年度2学期が今日で終わります。
この2学期の出来事を振り返ってみたいと思います。
記憶に新しいのは、やはりカタールで行われたサッカーワールドカップではないでしょうか。
夜遅くまでテレビの前で日本代表選手の応援をした人も多いと思います。
代表26人中19人がワールドカップ初出場という経験値の少ないチームで望んだ日本代表チームが入っているグループEは、ドイツ、スペイン、コスタリカという強豪国が揃うグループでありましたが、日本代表チームは、ライン上1mmまで諦めずボールを追いかけ、1戦1戦冷静に、目標を見失うことなく決勝トーナメント進出を成し遂げました。長友選手の「ブラボー」に象徴されるように、全員が諦めず前を向いて進む選手たちの姿に日本中が感動を覚えました。
世界の壁に挑戦するという意味では、今から58年前、昭和39年に本校を卒業後、自動車メーカーに就職し、後に世界に挑戦した津山工業高校生がいました。
機械科の皆さんは2学期に講演があったので、よく知っている方だと思いますが、本井伝義則さんが世界に挑戦したその人です。本井伝さんは、当時の「東洋工業」、現在の「マツダ」に就職後、ロータリーエンジンの開発をしていたエンジニアでした。日本では年号が昭和から平成に変わる頃、ホンダはF1,三菱はパリダカールラリー、そして日産とマツダはルマン24時間レースへ参戦し、モータースポーツが盛んな時代でした。その中で、ルマンの規程が改正され、マツダの代名詞でもあるロータリーエンジンが使用できる最後の年となった1991年(平成3年)にマツダの威信をかけ望んだルマン24時間レースに、本校卒業生である本井伝さんは、統括責任者として参戦し、見事、国内メーカーでは、初めて総合優勝を勝ち取りました。国内では、まだ誰も成し遂げたことがないミッションに、会社の命運をかけて挑むには、相当なプレッシャーとそれを乗り越えていく勇気とバイタリティが必要であったと想像します。
このことは、津山工業高校の生徒全員に当てはまることです。
どういうことかというと、皆さんが卒業後、各企業で生産していく工業製品は、既にJISにとどまらず、世界共通の規格ISOに準拠したものです。従って、皆さんの作業一つ一つが世界標準でなければならないということです。その中で、世界の強豪に競り勝っていかなければ、日本の工業の未来は明るいものにならないということです。言わば、皆さんは卒業と同時にワールドカップに出場し勝ち上がることを求められるということです。
そこで、力を発揮できるでしょうか。勝ち上がるだけの技術を身につけているでしょうか。プレッシャーを跳ね返すだけのメンタルトレーニングができているでしょうか。
それは、ものづくりコンテストや資格検定の受検、部活動などに取り組み、緊張する瞬間を経験することで養われていきます。
令和4年度が始まって、9ヶ月が経ちました。3年生が登校してくる日は、実質あと1月もありません。2年生は、進路決定まであと半年ほどです。
皆さんには、津山から出発して世界を取った、素晴らしい先輩がいます。やってできないことはありません。ただし、それ相応の努力が必要です。まずは井の中の蛙にならないよう、高い目標を立て、その目標に取り組んでいこうとする姿勢が、世界標準の感覚を身に付けさせてくれます。
これから迎える新しい年に、皆さん一人一人が活躍できることを期待して、2学期終業式の式辞といたします。
令和4年12月23日
岡山県立津山工業高等学校
校長 髙林 康徳